自身だけが食べる食事と、誰かのために作る食事が、こんなにも気合の入り方が違うものなのかと思わず笑ってしまいました。
手を抜きたいとか、面倒だという気持ちがまったく起きないのです。
母は毎回、「美味しいね」「どうしてこんなの作れるの?」「どうしてこんな味が出せるの?」と嬉しそうに言います。
正直、とても作り甲斐があります。
仕事でいう“やりがい”と同じかもしれません。
手をかけた分だけ結果が出るという、実に単純な図式です。
甥も「すごく楽させてもらって…」と喜んでくれました。
自分でも驚くほど上手くできている。
そういえば、キャンプでも料理を振る舞うのが好きだったなと。
退職の選択は正しかったのだろうか――
その迷いが、少しずつ薄れていくのが分かりました。
しかし、台所を預かって気づいたことはいくつもありました。
冷蔵庫には賞味期限の切れた調味料や食材がたくさんありました。
冷凍庫には、なんと2年前の日付のものまで。
めんつゆや鍋つゆは、ふたの開いた同じものが何本もある。
箱で買ったリンゴは、半分以上が傷んでいました。
挙げればきりがありません。
当然ですが、責める気持ちなど微塵も起きません。
責められるわけがありません。
居間には新聞が山積みになり、座卓の上には開けかけの菓子袋がいくつも置いてある。
重要書類らしきものも重なっていました。支払い関係は甥がきちんと管理してくれていましたが、それでも整理しきれないものがある。
あまり日の当たらない母の部屋は、今は使われておらず、野菜や日用品の置き場になっていました。
まるで時間が止まっているようでした。
夜は寒いからと居間のソファーで寝ているため、ストーブは夜通しつけっぱなしです。
以前の母は、食器棚の中身をすべて出して洗い、掃除をしてから戻すような、とても几帳面な人でした。
今は、普段着る服がすぐ手の届くように積まれています。
老いるということは、こういうことなのですね。
本人もまた、「できない自分」と折り合いをつけながら暮らしているのだと感じました。
甥は、これを一人で背負っていたのです。
この時点で、引っ越してこようと気持ちは固まりました。
「雪が解けるまでの手助け」など、とんでもなかったのです。



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